気ままに日記

2009年9月
September .29 (火)  ≪旅 6日目♪自由行動バルセロナ&タパス≫  55
 気分を旅日記にタイムスリップさせて,,,
9月1日(火) 旅6日目…今日は自由行動の日。楽しみにしていた母娘での観光。
ただ,,,午後はオプショナル,モンセラ半日観光を申し込んでたので、バルセロナの
自由観光は制限時間内で・・・。
今回のホテルは郊外の為、市内まで片道500円(日本円)でバスを出してくれた。
取りあえずは皆で街に出てそこからは各自。今回ひとり参加はいなかったものの
ひとり観光は危なくて,,,と言うかまったく無理。よく考えると自由行動のあるツアー
には、ひとりでは申し込まないよなぁ〜,,,と、バスの中で自分に納得しながら ?

 バスはカタルーニャ広場で私たちを降ろし、さぁ〜どこから観光しようか・・・。
その順路は娘達に任せて,,,とにかくキョロキョロしてて,スリには気を付けなくちゃ!
先ずは、昨日よく見てなかった「カサ・バトリョ邸」へ。 こちらは繊維業を営む
バトリョ家の邸宅で、ファサードの改築をガウディに依頼し彼の円熟期の傑作で
あり、ここでガウディの魔力が発揮されたとのこと。
特に外観のテラスには目を惹かれ、それは一個ずつが「どくろ」のようで、屋根は
ドラゴンのうろこ状に見え、室内の家具までもが人間の骨の形がデザインされて
いるそうで、今回は時間がなく中の見学が出来ないのが残念〜!

 次に、再度「カサ・ミラ邸」見学に。今日の目的は中に入場してTVで目にしてた
あの不思議な屋上に行ってみること! これは前回訪西班牙からの念願だった,,,
今回は時間が早いせいかそう待たずに入場出来てラッキー〜!
中庭に囲まれた室内に入ると、外観のいイメージから抱く奇抜性はなかったが、
ちょっとおしゃれな、でもどこか工夫はしている,,,との印象を受けた室内であった。
でも屋上に上がるとそこはもう別世界!遂にあのTVの画面の中の本物の世界に
足を踏み入れることが出来た〜! そこはただの奇抜なだけの世界ではなく
ニョキニョキっと立っている不思議な物体は、煙が揺れ動くような形をした石の
煙突や、換気塔の兵隊達が見張り番のようであったり、何気に建てらているかの
ようなこの煙突・換気孔群は、この建物の曲線に沿った大パノラマに設計されて
いるのである。そしてこの屋上からはサグラダファミリアが一望出来、ガウディが
聖家族教会建造に専念する前に手掛けた最後の作品,,,と云うのが伺い知れた。

 この「カサ・ミラ邸」をじっくりと見ているうちにもうお昼。ランチを食べなくちゃ。。。
添乗員糸子さんが自由行動用に作成してくれた手書きガイド地図に記されていた
お薦めの「タパス屋・Txapella(チャペラ)」へ入ってみた。こちらはテーブルクロスが
写真付きのメニューなっていて見かけで注文出来、バスク料理中心で少量を色々
な種類が食べれて美味し楽しく、初めてのスペイン料理外食に大,大満足〜〜!
食後デザートの、いちご&アイスクリームがクリーミーで忘れられない味となった,,,

September .27 (日)        ≪ 7人のコンサート ≫         54
 又々旅日記の中断ですが、昨夜,安田ギター教室痘L志7人によるコンサートを
終えました。 昨年11月から2月にかけ ギター経験者男性が4人入会して来たこと
により、3月末の弾き初め会には,さっそくカルテットを組み初アンサンブルを披露
したのです。 そして夏頃になって、弾き初め&発表会以外にも演奏の場を持て
たら…との話が出て来て、さっそくその目標に向けアンサンブルの輪を少し広げ、
7人のメンバーを固め、練習をスタートしたのです。。。

 ところが、それぞれの都合を月一の練習日に合わせるのが,かなりの大変さ。。。
コンサート日と会場は先に決めていたものの、中々全員が顔を揃えられず一時は
延期も?,,,の不安も抱えたのだが、一か月半くらい前にコンサートの決行決めた
あとは、皆さんの意識が変わり本番に向け歩み出したのだった。。。
プログラム的には、それぞれのソロにデュオ,トリオ,カルテット,そして全員による
アンサンブルを組んだのだが、リーダーさんが「スカボロフェア」を7重奏にアレンジ
してくれて練習に入ったのが本番までひと月を切っていて、それを各自力で譜面読
みをしてもらい、間でやっと2回合わせれただけ・・・。
 
 そんなこんなで昨日の本番を迎え、午後から私もリハーサルの為の会場入りを
したのだが、皆さん不安を抱えていた割には中々良い演奏をしていた,,,
そして本番会場に移り、先ずは軽い夕食「おにぎり厚焼き卵漬物」で腹ごしらえを。
会場は少し高台にある為、窓の外の夜景と海をバックに 函舘ならではのロケーシ
ョンの中で、喫茶店を借り切ってのコンサートでありお茶もたっぷりと,,,

 夜6時半…コンサート開始。ソロの紹介は各自で,メンバーさんで進行もしながら
演奏者と聴衆がほのぼのとした感じで気持ちが通い合えた,とても良いコンサート
になった。。。 何よりも私がタッチせずに,教室内の有志による自立したコンサートは
教室を主宰して来て以来初のことで、裏方の応援として携わらせてもらえたこと,
それはそれは「7人の侍」達の頼もしさを感じ、とても嬉しいことであった,,,
リハでの納得の演奏!本番でのあがりによる少し悔いの残った演奏などなど…
コンサートを楽しめたメンバーや悔いの分のリベンジを,,,の思いによるメンバーが
「春にPartU」を,,,とのことに繋がり、充実の「打ち上げ会」は,新たなる目標への
スタートラインともなったのである。ハプニングが起きたメンバーも昨日は気力で駆
け付け、PartTの記念コンサートを全員揃うことが出来、この緊張の場をくぐり抜け
更に結束が固まったと思われる「7人の侍」さん達,,,本当にお疲れさまでした〜!!


September .25 (金)        ≪ アントニ・ガウディ ≫         53
 ガウディは、1852年6月25日,バルセロナの隣町レウス市で生まれた。
ガウディの父親は鍋や釜をはじめ,銅版製の機具を作る職人でした。5人兄弟の
末っ子だったガウディは,少年期を過ぎた頃にバルセロナに引っ越した。
ガウディは子供の頃から遠足が好きで、野山を歩きながら,いつも自然から何かを
学んでいた。 そして野山を散策し観察しているうちに、自然から建築に結び付く
ことに気が付いたのだった。然しガウディはそれを装飾だけに使用したのではなく
散策を通し学んだ事を全てしっかりと考えて作品の中に収めて行ったのだった,,,

 ガウディは1873年に自分の進路を決め,建築学校に入学したのだが、元々型に
はめられることが苦手な性格から、「本に書かれた事や規律に従うことよりも、
自分の内からの声に耳を傾け,その方向に進んで行くことの大事さに気付かされ
たのであった。
ガウディ家は曾祖父の代から鋳掛け職人という中流階級だったゆえ、学費は自分
で働いて工面しなければならず、彼は常に仕事を探していた。その建築の実践
では学校で教える理論上の事柄よりも、すぐに解決しなければならない目前の
問題に遭遇した際に、ガウディにはそれによりいっそう興味を惹かれたのだった,,,

 学業を終えたガウディは1878年に建築家の資格を取得し、同年のパリ万博で
作品を発表した際に、それが終生の友,そしてスポンサーとなる「グエル氏」の目に
留まったのであった。1883年にはサグラダファミリア教会建設の指揮を引き受け,
1886年にグエル邸建設開始。1900年には聖家族教会建設と並行してグエル公園
の建設に取り掛かり、1904年に「バトリョ邸」改修の依頼を受け、
1906年にはペレ・ミラとロサリオ・セシモンより高級アパート「カサ・ミラ邸」の建築
依頼を受け,海の波イメージ・曲線外観のカサ・ミラ邸が1910年に完成。
その他にも沢山の建築依頼を受けていた中、1914年,諸事情により、グエル公園
建設の中断、そして1918年,グエル氏の死去によりグエル公園建設は志半ばで
完全中止となってしまったのである。

 その後1925年から、ガウディは寝泊りをグエル公園からサグラダファミリアに移し
同教会の建設に没頭していたのだったが、1926年6月10日,彼は仕事を終え
外に出て不注意により通りを横切った際に路面電車にひかれ、その3日後に亡くな
ってしまったのです。 アントニ・ガウディ,,,74歳。
彼は深い傷を負い病院に運ばれた時にはあまりにもみすぼらしい身なりだった
ので、誰ひとりとしてその人がガウディとは解らなかった。そしてそれが偉大な
ガウディと知った時に友人達は即入院させようとしたのだが、彼はそれを拒み,
こう言った,,,「私のいる場所はここにある,貧しい人たちの間に,,,」 と。
その当時、ガウディの作品は奇抜で全てに受け入れられていた訳ではなかった。
が,,,時の経過と共にガウディがこよなく愛した自然との調和が理解されつつ、
彼が亡くなって83年経った今,,,スペインの国,そしてバルセロナの街に惹かれて
これほどの人々が訪れるのは、ガウディさまの魅力ゆえなのである,,,


September .23(水)         ≪お墓参り♪敬老の日≫       52
 父のお墓参りから帰って来ました。今回の帰省は連休の始まり終わりがピッタリ
合ってしまったので、道がどれ程混むかと思いつつ覚悟して出かけたのが、
以外にも車の流れはスムーズ。が…道の駅などは駐車場が満杯でトイレ休憩に
不自由したのだった。 あれだけの車のわりに普通道の流れが良いと云うことは
皆高速道利用の車達か?私は前も今も普通道派なのでこの流れはラッキー!と。

 私は遠出の時に毎回多種のCDを積み込むのだが、今回はず〜っとラジオで
通してしまったなぁ〜,,,するとラジオでもこの連休の呼び名のことに触れてました。
シルバーウィークは,やはりピンと来ない,,,と。 けっこう前にその案が出てたにも
関わらず、ハッピーマンデー制度により今年の5連休を迎えたことで,その呼び名が
浮上? 敬老の日の呼び名に関してももその昔からの言い伝えがあり、
1947年(昭和22年)に兵庫県のと或る村で、お年寄りの知恵に敬意を表し「老人を
大切に,,,」とのことで、農閑期の9月中旬に敬老会を開いたのが始まりとのこと。

 1951年に「としよりの日」と定められたのだが、その呼び名には違和感異議あり
…,とのことで、1964年には「老人の日」に代わり、1966年(昭和41)からは国民の
休日「敬老の日」となった。更にハッピーマンデー制度により2001年から「敬老の
日」は9月の第3月曜日になったのである。

 尚、次に5連休が来るのは2015年とのことで、敬老会に行き着いた年数を考える
と今後この連休の呼び名もいろいろと検討されて行くかも?
そんなこんなで、車の中でだけと長距離の時だけ没頭して聞かせてもらう「ラジオ」
そこから流れて来る情報は中々おもしろい。。。 その番組の中でもじっくりと耳を傾
けれるのはNHK!そのアナウンサーさん達の声に落ち着きを得られるのです〜。
明日から又、時間が取れる時に「スペイン旅日記」の続きを書き始めます〜!


September .19 (土)    ≪ちょっとひと息♪シルバーウィーク≫    51
 旅日記,途中ではありますが、連休は実家に墓参りに行く為ちょっとお休みを!

 この連休のことは≪シルバーウィーク≫と呼ばれているらしく、その謂れはどこ
から?、、、その疑問を調べてみたところ、≪シルバーウィーク≫とは、日本で秋の
祝祭日が多い大型連休の俗称のことで、2008年11月に「9月の連休を命名すると
すれば?」とのアンケートをTVで問いかけたところ、その結果1位となったのが
≪シルバーウィーク≫とのこと。命名の理由としては金銀プラチナのシルバー。
そして連休の中に敬老の日が含まれていることで、高齢者を敬うシルバーシート
,シルバーパス,シルバー人材センターなどからの流れだとか?

 それは1950年から1960年代にかけて、ゴールデンウィークを定着させた日本の
映画界が、11月下旬の勤労感謝の日の前後を「シルバーウィーク」と称して興業
を行っていたのだが、ほとんど浸透せずに時は流れていた。
そのアンケート調査後に国内外ツアーを企画する旅行代理店などが、この言葉を
使い始めたところ、一気に広まりつつあるのだとか?
ちなみに、ゴールデンウィークGWに対し、シルバーウィークはSWだそう〜。
では明日、混雑が予想される中を約9時間以上かけて旭川に向け走ることに,,,


September .18 (金)       ≪旅 5日目♪カサ・ミラ邸≫      50
 次にバルセロナに於いて、ガウディの建築で有名な≪カサ・ミラ邸≫へと向った。
カサ・ミラ邸の建築主は、ペレ・ミラとロサリオ・セシモンで、彼らの住居の他に
各フロアに約400uの住居が4戸入る 高級アパートとして設計され、1906年から
1910年にかけて建設された。
こちらの建物は徹底的に直線を排除し、ゆがんだ曲線を主調としていて、巨大な
石の塊のような、波のように大きくうねる外壁が特徴的で、そのバルコニーには
黒っぽい鉄製の物が、まるで海の昆布が巻きついているように複雑に絡みあって
いるのである。今日は短時間による外観のみの観光だが、明日の自由行動時に
中に入れることを期待しつつ,,,本日の観光が終了。

 その後,今夜は食事が付いてないので食料を調達する為スーパーに案内される。
ランチが美味しくて食べ過ぎたので,それぞれのお腹に合わせ自分達で食事を取る
のも良いかも?それと地元スーパーを見れるのも又楽しいものである。
買ったものは、パンにチーズ,奮発して イベリコ豚のハムも,,,そして野菜,果物など
は量り売りで、近くにある量りに欲しいものを乗せてその物の所に付いている番号
をタッチすると価格ラベルが出てきて、それを袋に貼りレジに持って行くのである。
なので、梨1個でもバナナ一本でも少量に関わらず買えるので、これは楽しい〜!
日本でもこんなのがあったら楽しいかナ?と思うが、少量では商売にならないか?

 それぞれに思い思いの食料をゲットして、バスは今夜の宿へ,,,と向う。
旅の最終…2連泊のホテルをとても楽しみにしていたのだが,,,キーをもらって
部屋に行くと唖然!何とダブルベットだ!,,, うちらはトリプルゆえそこにエキストラ
ベットが入るとめちゃめちゃ狭い〜!
ちらっと聞いてた話で、同時期にお医者さん達の大会があって,3万人もの関係者
がここバルセロナに集結している,,,とのこと。 だとすると,この郊外の小さなホテル
での宿泊は止むを得ないか〜・・・。 それにわずか一泊でも超広いゴージャスな
ホテルに泊まれたのだし、ごちゃごちゃ不平は言うまい,考えるまい!
娘が作ってくれたサンドイッチを美味しく戴き,明日の自由行動を楽しみに就寝!


September .17 (木)        ≪旅 5日目♪グエル公園≫      49
 ツアー観光の時間制限は頭で理解しながらも、サグラダファミリアには心を残し
つつ・・・気持ちを切り替え、次も楽しみにしていたグエル公園の見学に向かった。
こちらはバルセロナの街を見下ろす山の手に位置していて、その当時、ガウディの
友人でもあり、更に終身的な顧客でもあった大傑物グエル伯爵は、未来の住宅地
を構想し,市郊外に公園住宅の建設を計画しその設計を、ガウディに依頼した。
ガウディはこの考えをとても気に入り1900年,,,意欲的に仕事を始めた。 
が,,,二人の熱意とうらはらに,予定住宅60棟のうち3棟が出来たあたりで、戦争等
で工事が中断、更に資金面などの問題も立ちはだかる中,後に1918年,グエル氏
が亡くなった為に、この計画は決定的に打ち切られてしまったのである。。。
山ひとつの面積半分以上が緑に覆われ、ガウディが造る自然的な楽しい建物の
囲りで子供たちが遊び戯れ,お年寄りたちが散歩をしたり,読書にふけったり,,,
グエル伯爵のそんな遊び心による≪グエル,ガウディワールド≫が、今の時代に
そこにあったとしたら?どんなにか夢の世界が広がっていたことか?…

 だが…その場に立ってみて「ここはそんな予定だった,,,」とかのガイドに耳を傾け
ると、何となく想像の世界に入れた気がしたのである。
先ずは入り口正面の中央階段のところにど〜んと身構えている爬虫類の造り物,,,
こちらはタイルがカラフルに貼られモザイクが美しく、更にこのトカゲ (っぽい?))
口からは水が流れ出し、表情も愛嬌のある可愛いさであった。
次に階段の上の方に上がり正面に向きあうと、左右2棟の建物が目に入って来て
それぞれが,現在は管理事務所と売店として使用されてるのだが、こんなおとぎの
国の城のような建物が、もしもここに60棟も建てられていたとしたら?,,,
「白雪姫」のように、お伽の国の世界に迷い込む錯覚に陥ったことでしょう〜???
彼らの出会いは,1878年ガウディがパリ万博での作品出品時,そのデザインの独創
性,芸術性がグエルの目に留まり、そこから彼の成功の道が開けたのであった。

 さてそこから少し進み,下部分では市場が開かれる予定だった86本の円形列中
に支えられている上部分の大広場に辿り着く。その大広場を一周している,曲がり
くねった巨大ベンチに圧倒され、そこにはタイルやビンの破片を貼り付けていて、
その芸術性は、現在のモダン・アートのはしり…と言われているのだそう〜。
然もそのベンチには腰に当たる所に膨らみを持たせ、座ると腰が指圧されかなり
気持ちが良いのである。 前回訪スペイン初日観光のバルセロナは雨だったので、
ベンチを目の前にしながらも水浸しではさすが座ることが出来ず,無念を残してた
のだが、今回はそれを晴らすことが出来て感無量,,,! 実際に人の身体の型を取り
この出っ張りを造った,とのことで,グエル氏のイメージした、この「ベンチで読書を,,,」
そんな気持ちが良く解り、もう少し座っていたく,そこを離れ難かったのでした〜 ! !
これ又ツアーの宿命,,,! 巨大ベンチの全景を振り返りながら帰り道に着いてると
ガウディが住んでいたと言うお家のところで足を止め,ガウディワールドの見納めを
させてもらって、又もや未練を残しつつグエル公園を後にしたのであった・・・。


September .15 (水)      ≪旅 5日目♪サグラダファミリア≫    48
 午後の観光は,こちらも今回の旅,最大目標である≪サグラダファミリア≫から…。 
お気に入りレストランを後にし、バスはバルセロナの街中へと進んで行くと、先ずは
街の中心にど〜んとそびえ立っている≪サグラダファミリア≫に圧巻!
バスを降りた所から少し離れ,そこで振り向くと「誕生の門」170mのファサード全景
が目に飛び込んで来て更なる感動!
この「誕生の門」はイエス誕生の歓喜を表したもので、唯一ガウディが生前中に
完成した塔でかなり細やかな彫刻となっている。「聖母マリアの戴冠」「受胎告知」
「イエスの誕生」等の彫刻が成され、他に「音楽を奏でる天使たち」の彫刻には、
外尾さんと言う日本人の手も加わっていて、「生命の木」に彫刻された緑色の糸杉
と白い鳩は、石カラーの中にも目立ち印象的であった。こちらも外尾さんの手が
加わっているとのこと。 そしてイエスの誕生を告げる「ラッパを吹く天使たち」彫刻
の根元を支えているのが海ガメ,陸ガメ と云うのを娘が見つけ、これには自分なり
の意味があり、今回の嬉しい新発見であった。

 次に教会の内部に入って行くと、塔を支えている柱には自然の樹木を表現し,
丸天井はシェロの葉になっていて、その葉のつなぎ目からは自然の明かりが教会
内部に採光されるように設計され、窓のステンドグラスカラーも印象的であった。
そして反対側の「受難の門」に出ると、こちらのサファードはスペインを代表する
彫刻家ジュゼップ・スラピックスによる、全く異なった雰囲気の石に彫られた苦悩と
犠牲が表現され「最後の晩餐」「ユダの裏切り」「キリストの磔刑」等の彫刻の表情
を見ているうちに、その苦悩がいくらか伝わって来たのである...
そこで数十分の自由行動とはなったものの、制限時間内では再度見に行くことも
他を見に行くことも出来ず(これがツアーの切ないところ(?))、売店を物色しただけ
でタイムオーバー! ! 見足りない〜! でも,次の観光があるので仕方がないか,,,

 サグラダファミリアに関し改めて,,,1882年3月…聖家族に捧げる教会を造ろう,,,
とこの地に建設を立ち上げた当時,信者からの寄進で財源をまかないながら築いて
行くことで予算不足の為、街を外れた場所に土地を購入せざるを得なかった。
が,,,それが今となっては、そこが街のほぼ中心となっているのである。
1883年,ガウディが31歳で建設の指揮を引き受けてからはこの仕事に没頭し、
それと同時進行でグエル公園建築等も手掛け、その双方の場所を毎日徒歩で
往復しているうちに、ガウディは74歳で路面電車にひかれて亡くなってしまった。
ガウディ没後83年経過後の今、そして着工から127年経った今も建設は続けられ
前回訪れた12年前よりは工事はかなり進んだ感じを受けたものの、
献金の調子が良いのか?完成めどが立った,,,とかもささやかれ出して来ているよう
だが、何となくいつ出来上がるか解らず,生きてるうちに完成は見届けられない,,,と
思えてる方が、ロマンがあって良いような気がしているのは私だけでしょうか ? ? ? 
アントニ・ガウディさんはどう思っているのでしょう〜〜?


September .13 (日)  ≪旅 5日目♪バレンシア観光塔tィデウア≫   47
 8月31日(月) 旅5日目今日は又長距離をかけバルセロナまで移動の為、
出発は7時半と早い! 朝食7時と云うことはその時間までに荷物も運び出すこと。
朝はバイキングなので混んでると皿に取り盛り席に着き食べ出すまでに10数分。
急いで急いで〜。こう云う時は早食いの人が有利。皆さん何とか出発時刻には
間に合って、バスは予定通りにスタート〜。

 今回かろうじて付いている徒歩30分程の≪バレンシア≫旧市街観光。
先ずはセントマリア教会見学。こちらは中にも入ることが出来て、その日は日曜日
の為礼拝をやっている中でも静かに見学OK。私はここで懺悔室なる場所で実際
に懺悔しているご婦人がちらりと目に入り、とっさに映画の世界だ〜,,,と。
次の観光は15世紀末に建てられた、ゴシック様式の貿易所≪ラ・ロンハ≫。
こちらは1996年ユネスコの世界遺産登録。外観見学では,軒から少し突き出て
動物をあしらった≪雨どい≫が印象的であった。 市内を抜けるまでの車窓では
カテドラル,オペラハウスも見えて来て、バレンシアの街並みは想像以上に素晴
らしかった,, そしてバレンシアと云えば≪オレンジ≫。街路樹にも沢山植えられ
てるが、こちらはデコレーション用で実は苦くて食べられないのだそう。

 急ぎ足であったが一応バレンシア観光を終え、お迎えのバスに乗り込むと
それから380q・約5時間の道程を≪バルセロナ≫へと向かうことに。
途中車窓から山間に上下2層のアーチ≪タラゴナの水道橋≫が見えて来た。
さぁ〜,今日もお勉強会。バルセロナに関しては、サグラダファミリア,ガウディ等
の楽しい話題の他、歴史の方は複雑過ぎてのみ込めないが、小話なども楽しい.
ここスペインはオリーブ生産が世界一で、行けども行けども果てしないオリーブ畑。
添乗員さん曰く、この旅でオリーブを一生分を見たのではないか?,,,と。 
これらの木からあの小さなオリーブの粒を収穫するのは気が遠くなるのでは?と思
うが、雨の少ない所でも実を付けるオリーブは≪命の木≫と云われてるのだそう.。
私は漬けたのはあまり好みでないが、生野菜をオリーブと塩のみで戴くと美味!
さすが本場〜〜 ! !

 今日のバス移動は短く感じ、そうこうしてるうちに午後2時過ぎバルセロナ到着。
ここではオリンピック当時の選手村近くの海側のレストランに足を運びランチを。
そのお店はかなり賑わっていて、一人一皿の野菜に,香ばしく焼かれトマトソース
が塗られた≪パン コン トマテ≫は、私のこの旅での特にお気に入りであった。
そして美味しい,,,と言われてた≪フィデウア≫。それは焼きそばのようではあるが
海鮮だしが何とも言えない旨みを出していて、ここでしか食べられない物,,,とお腹
の限界ぎりぎりまでめちゃめちゃ戴いてしまった,,,この旅,こちらの料理がbP〜! !


September .10 (木)  ≪旅 4日目♪長時間のバス移動,パエリヤ≫   46
 さてアルハンブラ宮殿観光が終了し、今日は長時間のバス移動になる為、少し
早め,11時半の昼食。本日のメニューは、ジャガイモ&きのこの炒め物に生野菜,
そして≪イカの墨煮≫はとても美味しく、デザートのアイスも美味でした〜,,,

 今夜の宿泊地バレンシアまでは、グラナダから529q・約7.時間半の道程。
今回の最長移動である。12時半にレストランを出てバレンシアへ,,,,,,とまっしぐら!
午前中にけっこう歩いたのと満腹満足のランチで、外の景色も,せっかく流してくれ
ている音楽も心地よい子守唄替わりとなり、私はバスに乗ってすぐに爆睡・・・。
ドライバーさんの休憩時には大きなドライブインだと30分の時間を過ごすことは
楽しみなのだが、或る時に、スーパーのように生鮮食料品が並んでる所で好物の
果物に目が留まり桃と梨を買ってお店のナイフで皮をむいて食べてると出発時刻
が迫り、手がべとべとであせって洗いに行き、ダッシュでバスに乗り込んだことも
あり、そんな日に限って夕食のバイキングで果物が山積みされてたりして(?)

 今日は移動が長いので、添乗員さんがバスの中で色々と話をして下さいました。
スペイン語については到着後、直ぐに教えてくれてましたが、先ずは挨拶から〜、
おはようございますはヴエノス ディアス,親しいこんにちははオラ,今晩はヴェノス
ノーチェ,それにちょっと面白いのは又明日ネはアスタマニャーナ,レストランは
タベルナ(?),いちばんの基本は有難う〜,グラシアス,さよならはアディオス,
そしてはじめましてはムーチョグスト,お元気ですかはコモエスタ等々,,,
それから通貨だが、今はヨーロッパ共通の「ユーロ」使用で、今回出発時のレート
は1ユーロ138円で両替を。ちなみに12年前の時はまだ現地通貨「ペセタ」使用で
確かその時は初めての海外紙幣が珍しく、ペセタをアルバムに貼ってある筈!
そのあと数年の海外旅行時の紙幣も最低ラインのを記念に残してあると思うので
今となっては、それはとても貴重なお宝となっている,,,

 今回の添乗員さんの感心したことは、次に向かう際にバスの中でその観光先の
歴史とかの資料をけっこう詳しく読んでくれていた。時には子守唄替わりになった
時もあるが「勉強してるんだなぁ〜」と思っているうちに、説明にどんどん引き込ま
れて行き、そのうちバスに乗るとそのお勉強会が楽しみになって来てたのだった。
学校時代このように話に耳を傾ける自分がいたら、もっと勉強が出来たろうに(?)
バスはやっと日も暮れかかった夜8時前にホテル到着。 夕食は8時半からで
メニューはスペインと云えばお待ちかねの≪パエリヤ≫ 美味しゅうございました!!


September .9 (水)      ≪旅 4日目♪アルハンブラ宮殿≫      45
 8月30日(日)旅4日目今日は今回の旅の大きな目標,≪アルハンブラ宮殿≫
の見学日である。
朝の入場予約,,,とのことで、早起きして7時過ぎには朝食を食べ8時にはホテルを
出発。 バスは昨夜通った見覚えのある道を抜けてアルハンブラ宮殿へと向かう。

 ネバダ山脈の麓、ダロ川流域に広がる街グラナダは、イベリア半島に約800年間
続いたイスラム支配終焉の地。アルハンブラ宮殿はその最終章の栄華を伝える
イスラム建築の最高峰,中世の城壁である。
イスラム教では偶像崇拝が禁じられており人物や鳥獣が建築装飾に用いられる
ことは殆どなく、その代わりアラビア文字や木々や花、果実などをモチーフにした
彫刻を宮殿のあらゆる所にあしらった。宮殿内部は至るところ「アラベスク模様」の
彫刻がされており、その細やかさには目を見張るものがある。
その中でも,蜂の巣のような鍾乳石飾りが施された八角形の天井の天窓から差す
光が彫刻に反射し、宝石の如く輝きを見せる「二姉妹の間の天井」は圧巻である。
そして「大使の間」では、1492年コロンブス,アメリカ大陸発見の年の初めに
イサベル女王とコロンブスが謁見した,との場所があり、感慨深いものがあった。

それから更に有名なのが「ライオンの中庭」。それは12頭のライオンが円陣を組み
水時計になっていて、1時間毎に各ライオンの口から水が出ていたのだそう。。。
前回はそのライオン群は居たのだが、今回は修復の為ライオン達はごそ〜っと
取り外されていて、初見学の人達は見ることが出来ず残念無念〜!気持ちのどこ
かには,2頭くらいずつを持って行っての修復は叶わなかったのか?,,,との声も??

 そして庭園に出てみる。それが又やたらと広〜い! 花盛りの時期は終わったと
云うもののまだまだ花木は見れるものがあり、前回来たのは1月の冬だったので
庭はこんなに歩かなかったなぁ〜,,,やはり夏はいいものだ〜!
アルハンブラ宮殿では、庭園と並んでたくさんの噴水に目を惹かれるのだが、
その昔北アフリカからやって来た砂漠の民は、安住の地に「水」を求め 宮殿の
どこにいても中庭に流れる水路や噴水の水音を聞くことを求めていたのであった。
そのお庭の南側に1931年に造られたヘネラリーフェ庭園の中に「アセキアの中庭」
があり、アセキアとは水路を意味し、そこの両サイドからシンプルに湧きあがる
噴水の水音にイメージされたのが「アルハンブラ宮殿の思い出のトレモロ」である。
じっくりと堪能させてもらった2度目の「アルハンブラ宮殿とヘネラリーフェ庭園」,,,
大満足でございました,,, 今年の行事がひと段落したら、アルハンブラ宮殿の歴史
をもっともっと詳しく勉強したい,,,と云う気にさせてもらえた今回の訪問でした。。。


September .8 (火)     ≪旅 3日目夜♪フラメンコショー≫     44
 昨夕の続き…チェックインを待ち,キーをもらった順から荷物を置きに部屋に行くと
何と部屋が驚くほど広〜い!ベットがトリプルで入っていても凄〜いデラックス!
このホテルは「グラナダ パレス」と云って、元は宮殿か?ロビーも何もかも広い。
すぐ近くにスーパーがあると聞き、私達はフラメンコショーに出かける集合時間まで
の間を、慌ただしく物色に出かけて見ることに…。
そちらもとにかく広い中,小走りでウロウロしてるうちにタイムアウト。
それでも何とかインスタントラーメン,スープの素などをゲットしてきた。

 7時40分,オプショナルのフラメンコショーに行く人は集合。これから行く所は道が
狭い為、小型バス2台にて、先ずは夕食の為のレストランに向かった。
30人近くがどっと来店したので料理が行き渡るのに少し手間取ったようだ。
フラメンコショー開始が気になりつつ,,,慌ただしくお店を出、小型バスは洞窟のある
方向,アルバイシン地区へと向かう。スペインの夜はこれからで、進むにつれ人々
の賑わいが,,,
前回訪れた時に、この洞窟のフラメンコはその日になってから知らされ、それは
遅い時間から始まる為帰りも遅くなるので、希望者のみの有料参加と云うことで
ホテル側が安全なタクシーをチャーターしてくれてショーを含めてで1万円だった,,,
今回は同じ値段で夕食が付いてたので超お得(?)
フラメンコ会場に向かう途中、アルハンブラ宮殿の外観ライトアップが見えて来て、
前回ここに来て初めてそのライトアップことを知り、感動したことが蘇ってきた,,,
そんな思い出深き所を再訪出来るとは,,, 私は嬉しさと幸せ感でいっぱいだった,,,,

 けっこう広い洞窟会場では、通路を挟んで片側がうちらの仲間で独占した感じ。
さぁ〜,いよいよ「フラメンコショー」の開演。目の前で踊るダンサーの苦悩の表情
ステップの力強さ,汗など…が,リアルに伝わり、私達はグラナダの夜を堪能し、
帰りも又アルハンブラ宮殿の外観を目に焼き付けて,ホテルに戻ったのであった。


September .7 (月)    ≪旅 3日目♪コルドバ,ミハス,グラナダ≫    43
 8月29日(土)旅3日目…今日は朝8:40に出発してコルドバ市内観光へ。。。
コルドバ観光のメインは、イスラム建築の世界遺産「メスキータ」である。
このメスキータは、白と赤が交互に積まれた数百本のアーチが特徴で、3度に渡り
拡張され造られたモスクはとてつもなく広く、数万人もの信者が祈りを捧げたそう。
こちらは、複数の宗教が絡み合っての歴史は中々覚えきれないが、建築としては
ゴシック様式,ロマネスク様式,バロック様式等が融合とのことで圧巻であった。

 それからコルドバは「花の小径」も有名である。色とりどりの花を付けた沢山の
小鉢がまっ白な壁にデコレーションされ、更に各お宅の中庭“パティオ”を競う
コンクールなどもあるのだそうな。前に聞いた話だと,優勝すると花にかかる水道代
が割引とかタダになるとか?…その建物と建物の細い隙間からメスキータの塔
ミナレットの見えるところが撮影スポットとなっている。 気温は38℃…とのこと。

 さて次は、3時間半程のバス移動にて「白い街 ミハス」へと向かう。
ミハス到着後ランチタイム。スペイン名物「ガスパチョ」がメニューであったが、
このガスパチョとは、トマトがベースのスープに小カットのジャガイモが入っていて
美味しそうに見えたものの香辛料に少しクセがあり、けっこう何でもいける私でも
これはちょっとギブアップだった。残してしまって,ごめんなさ〜い,,,
ランチ後は各自由行動。ショッピングタイムになったのだが集合場所までの道程が
坂の登り下りの複雑さで、急ぎ足で歩いているうちに自由時間終了,となった感じ。
それから、ここミハスは「ロバのタクシー」も有名であるが,お薦めはされないよう,,,

 その後は地中海を横目に、2時間15分かけて心待ちの「グラナダ」へ移動。
ここスペインは長距離ドライバーさんに対して、2時間ほど走行すると休憩を取ら
ないといけない厳しい法律がある,,,とのことで、その時はトイレ休憩を兼ね30分程
のぶrぶらタイムとなる。そこそこのドライブインでお気に入りを見つけたりもする。
さて,今日は車の渋滞もなく予定通りにスケジュールが運び18時,ホテルに到着。
ここスペインは時間的に2時間程ズレていて、夕方6時はまだ午後の日差し。
夜は9時頃にならないと陽が落ちず、その分夜明けが遅いのには中々慣れない,,,


September .6 (日)   ≪旅 2日目♪マドリッド,トレド,ラ・マンチャ≫    42
 8月28日(金)旅2日目…今日から観光の始まり。しかも毎日のバス異動ゆえ朝
の集合時間にはスーツケースも準備万端にしておかなければならず、朝はとても
慌ただしいのであります。それにこちらの夜明けは遅く,9時近くでないと明るくなら
ないので、7時半の食事時間頃はまだ暗い中をレストランに足を運ぶのである。

 今日から最終日まで,私達の命を預けるバスの運転手さん「パウロさん」の紹介。
それに現地と日本人ガイドさん二人が同行しいろいろと案内をして下さることに。
先ずは「ドン・キホーテの像」で有名なスペイン広場に行き、スペインに来て初の
記念撮影写真タイム。
次は王宮外観見学へ。12年前の時は工事をしていて,地下を掘ったら遺跡が出て
きた為に工事は中断。この国は遺跡優先の為工事の再開は未定,,,と言われてた
王宮を今回はじっくりと見学することが出来た。王宮をとりまく周辺は広〜〜い!
そしてマドリッドではメインの見学「プラド美術館」へ。こちらでは各自にイヤホンが
与えられ、多少後方にいてもマイクの声でガイドが聞けて,これはとても良かった。
ゴヤ,エルグレコ,ベラスケス他,駆け足ではあったが20点程を案内して下さった。

 次にマドリッドから1時間程バスを走らせた所の世界遺産「トレド旧市街」観光
トレドに着き先ずはランチタイム。 そこではスペイン名物「タパス」を戴いた。
その後、このトレド旧市街地区は道が狭い為車の侵入が出来ず、2時間程かけて
徒歩での観光を。カテドラル,サント・トメ教会などを見学した後、迎えのバスに乗り
込むと、トレドの全景を見下ろせる高台へと案内してくれた。
三方をタホ川に囲まれ、画家エル・グレコが後半の生涯を送った頃と同じ中世の
たたずまいが、今もそのまま残っている街トレドの全景は圧巻であった。
前回訪れた時は、先に全景を見て「アルカンタラ橋」を渡り旧市街地に入ったのが
今回は新市街地から入り、何と,モダンなエスカレーターにて上へと進み旧市街地
に入り、ひとまわり観光して前と同じ橋を渡って出口へ。そして街の全景へ,,,と。
2度のトレド観光、真逆の観光ルートは、何とも甲乙が付け難い(?),,,

 その後トレドの東南へ1時間程バスを走らせ「ラ・マンチャ地方」へ,,,と向かった。
ラ・マンチャと云うと,有名なのが「ドン・キホーテと風車」。.ここは初の見学である。
ガイドさんの話を聞いているうちに、ドン・キホーテのコミカルさに興味が湧き、
後で本を読んで見ようと思う。詳しくはのちに作成する「旅行記」にて紹介予定を,,,
盛りだくさんの観光が済み,この後は4時間かけ今夜の宿泊地コルドバへ向かう。
今日はたくさん観光をしたので、ホテル到着後21:15からの遅い夕食となった。


September .5 (土)      ≪旅 1日目♪出発日,ローマへ≫      41
 8月26日(水),,,前泊の為お昼の便で上京。成田空港近くの「東横イン」に宿泊。
部屋に入ると、驚く広さでダブルの部屋を一人で占領するゴージャス感に浸る,,,!
それに、こちらのホテルは夕朝食付きで、今夜のメニューはカレーライス。
盛りは選べるらしく、それはごく普通の家庭で食べる味なのだが何か美味しい!
もっと食べた〜い! 周りを見ると男性は大きなお皿で大盛りカレーを戴いてた。
いくら何でも女性は普通盛りでしょ?,,,その普通盛りが思っていたよりも量が少なく
お代わりなしのルールには…。 夕食が無料で食べられただけでも良し…と。
部屋に落ち着きやっと旅のあれこれに目を通し、何とか海外モードになって来た,,,
 
 8月27日(木),,,朝食はバイキングでしっかりとお腹を満たし、9時過ぎにはホテル
の送迎バスにて成田空港に向かう。携帯で連絡を取りながら娘達と待ち合わせ。 
空港でユーロ―に両替も済ませ,集合時間場所に行くと、そこで初めて添乗員さん
に会い、今回計33名での参加と云うことも解ったのである。手続きが済んだ後は
出発時刻まで自由。そこで先ずは腹ごしらえを。私はうどんかそばにしよいうかを
迷ったのだが、嬉しい半々セットがあったので日本麺にて暫しの食べ収めを。

 13:20…旅のスタート、先ずは乗り継ぎのローマに向け出発〜♪
所要時間は12時間半。長いよ〜,,,乗って2時間程すると最初の機内食が。
この度の飛行機はアリタリア航空で、食事は洋食か和食を選ぶことが出来,
和食を選んでみたら、何とメニューは「うな重」で,とても美味しゅうございました。
飛行機の長旅は、食べては寝,飲んではビデオを見て,あとは寝るしかない,,,
そしてこういう時に、どこででも眠れると云うことが最大のHappyである。
現地は夜に向かう為、軽夕食に出て来たのは「おにぎり」。そうこうしているうちに
19:00 ローマ着。 (こちらとの時差は、日本が7時間さかのぼることになる)
そこで乗り換えの為,2時間少々の自由時間。旅は始まったばかりなので、ここで
浪費してはならぬ,と自分自身にブレーキをかけつつも?…  21:15出発。さぁ〜
あと2時間少々でスペインだ〜。 今度はあっという間の、23:30 マドリッド到着。
お迎えバスでホテルに向かい,チェックイン手続き待って部屋に入り、荷物の整理
をして就寝に至るまでには深夜となってしまった,,, さぁ〜明日からから観光だ〜!

September .4(金)        ≪スペイン旅から帰函♪≫        40
 今夕、旅行から帰って来ました。
5つの世界遺産観光付き!スペインの魅力がぎっしり詰まった≪まるまるスペイン
8日間≫のコース名で、33名参加による旅でした。
5都市とは,マドリッド,トレド,コルドバ,グラナダ,バルセロナの他ラ・マンチャ地方
に ミハス,バレンシア、更に少しですが乗り継ぎのローマ観光まで付いてました。

 お天気の方は,最終日に通り雨のようなのがあったものの後は青空がくっきりと。
気温は30度を超えていたにしても湿度はさほどでもないせいか、木陰に行ったり
日傘をさすと暑さは何とかしのげたのでした。
今回の旅は、とても温和でいて気配りの出来る添乗員さんだったので、旅の間中
私達は疲れかけた心を癒されながら、心地良い旅をさせてもらえたのでした。。。
それにスペインの料理は私達の口に合い、とてもとても美味しかったです〜!

出かける前に心配だったインフルエンザの方も、海外の方ではまったく不安はなく
帰国後も今のところ大丈夫のようですし、それがいちばんホッとしたところです〜。

 それにしても、12年前のスペイン旅行時のことはけっこう記憶から薄らいでいた
のと、その年月の間でいろいろと変化していたところもあり、季節が真逆なことが
何より幸いし、2度目のスペイン旅行がけっこう新鮮な気持ちで旅して来れたのが
良かったです。 明日以降・・・お土産話を少しずつ書かせてもらいますので〜。 

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