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7月7日七夕の夜、レッスンが終って自分の部屋に戻り何気なくTVをつけたら
「岡本太郎氏」の特番をやっていて、大阪万博“太陽の塔”の画面を懐かしいなぁ
〜と見ているうちにだんだんはまって行った。。。
その当時、海外はまだ手の届かない時代に太郎さんは、結構外国に足を運んで
いたようで、あの個性的な感性は、どう見ても私には日本におけるピカソ・・・・・
のように思えるのである。
当時、彼の強烈な個性に対しての印象は、かなりの変人,,,作品に関しては
誰しもが度肝抜かれるものであったろう〜と推測する。
今回その番組では彼のことに事細やかに触れ、私は岡本太郎と言う画家の
生涯を初めて知った。そして彼を支えぬいた敏子さん、と言う女性の存在も初めて
知った。 メキシコオリンピックを前に建設予定のホテルオーナーから依頼された
1968年に現地で制作された岡本太郎の最高傑作である。
ところがその依頼者の経営状況が悪化し、ホテルは未完成のまま放置され人手に
渡った後壁画は取り外され各地を転々とするうちに行方が解らなくなってしまった。
そして、岡本太郎の没後,パートナー敏子さんの執念でその壁画は探し当てられ、
36年の時を経てやっと日本に戻れることに。。。
だが、そのプロジェクトチームが成田空港に到着した直後、彼女の訃報の知らせ。
敏子さんは,人生最後の仕事をやり終えて太郎さんの元へ旅立ったのであった。
その後、かなり傷んでいたその壁画を、予め組んでいたプロジェクトチームにて
1年以上をかけてじっくりと修復させ、いよいよ公開の運びとなった7日夜、場所は
東京汐留の日テレプラザにて巨大壁画 『明日の神話』 の除幕式が、ライブ放映
れたのだった。
その夜のTVを見ていなかったら「何だこれは〜」で一過性のものであっただろうが
それはそれは意味深いものであり、敏子さんの存在ありきで岡本太郎伝説は息を
吹き返したと誰しもが感じた。。。芸術家に個性は付きもの。その過ぎたる個性を、
やっと理解してもらえる時代に差し掛かったのではなかろうか?
TVの画面を通しイメージの強かった燃えるような赤が、本日の日記カラーでした。
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